1: ( ´`ω´) ★@\(^o^)/ 2014/12/05(金) 02:29:03.47 ID:???0.net
    ■「北斗星」来年3月引退へ ブルトレ、歴史に幕

     定期運行を続ける最後のブルートレインとして知られる寝台特急「北斗星」(上野―札幌)が来年3月の
    ダイヤ改正で廃止される方向となったことが4日、JR関係者への取材で分かった。半世紀以上にわたり、
    列島を走ってきたブルトレの歴史が幕を閉じる。

     北斗星はJR東日本とJR北海道が運行。関係者によると、客車の老朽化に加え、2016年春の
    北海道新幹線開業に向け青函トンネルなどで工事や走行試験があり、運行時間の確保が難しくなるのが
    理由。廃止後は、観光シーズンに臨時列車として運行する可能性はあるという。

    http://www.47news.jp/CN/201412/CN2014120401002085.html
    http://www.47news.jp/ 47NEWS(よんななニュース) (2014/12/05 02:10)【共同通信】配信
    http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1417697837/38 依頼

    引用元: ・【鉄道】「北斗星」来年3月引退へ ブルトレ、歴史に幕

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    1: Hi everyone! ★@\(^o^)/ 2014/11/27(木) 23:23:50.00 ID:???0.net
    悪性リンパ腫のため11月10日に亡くなった俳優の高倉健(本名・小田剛一)さん。銀幕の大スターである健さんはその人柄から沢山の人々を惹きつけた。

    地方のロケ先でも、健さんの気遣いは変わらない。映画「あなたへ」のロケにエキストラとして参加した、北九州市の映画館「小倉昭和館」館主の樋口智巳さんがこう話す。

    「ちょうどロケの間、映画館で高倉健さん特集を組んでいました。するとスタッフからそのことを聞いた健さんが、現場にいた私に、こちらより先に『ありがとうございます。自分の映画を上映していただいて』と言ってくださった」

    人との出会いを大切にした健さんが、なかでも大事にした女性が2人いる。

    一人は母親だ。インタビューやエッセーでは、「母の躾(しつ)けが厳しかったおかげ」「母に怒られそうなので」と、「母」について多くを 語っている。91年に出したエッセー集『あなたに褒められたくて』の最後に健さんは書く。

    <お母さん。僕はあなたに褒められたくて、ただ、それだけで、(略)三十数年駆け続けてこれました>

    もう一人は離婚した江利チエミさんだった。82年に45歳で亡くなった江利さんの墓参りは欠かさず、再婚はしなかった。

    あるライターが言う。

    「数年前、健さんにもう時効だからと離婚の話を尋ねたんです。そうしたら、『人間は難しいもので、愛し合っていても別れなければ ならないことがある』とおっしゃいました」

    インタビューでも、こんな言葉を残している。

    <籍が入ったとか入らないとか、子供を持ったとか持たないとか。そんなことよりも、悔いのない人に出会えたという記憶があるか ないか。僕はそっちのほうがとっても大事だと思いますね>(「person」2001年7月号)

    心を大事にする健さんらしい生きざまだった。

    ※週刊朝日  2014年12月5日号より抜粋

    ソース(dot.) http://dot.asahi.com/wa/2014112600031.html
    写真=映画館前に設けられた献花台には多くの人が訪れた(11月19日)
    http://dot.asahi.com/S2000/upload/2014112600031_1.jpg.pagespeed.ce._MuSkJCiE4.jpg

    引用元: ・【芸能】「お母さん。僕はあなたに褒められたくて、ただ、それだけで…駆け続けてこれました」 高倉健さんが大切にした2人の女性

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    1: Hi everyone! ★@\(^o^)/ 2014/11/27(木) 23:17:52.92 ID:???0.net
    その流麗な歌声で日本でも多くの聴衆を魅了したアーティスト、ヤドランカ・ストヤコビッチは今、祖国ボスニアのスルプスカ共和国の 中心都市バニャ・ルカの施設にいる。脳の命令を筋肉に伝える運動ニューロンが侵されるALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し闘病生活を送っているのだ。

    原因不明のこの難病は徐々に身体機能が失われていき最後は呼吸も自力でできなくなるが、意識だけははっきりと残る。動かなく なっていく身体と日々、向き合わなくてはならない。ヤドランカは話す。

    「去年、足から上の筋肉が動いてもっと元気だった頃、よく考えていました。なぜ私はあんなに日本の文化に入っていけたのか。 音楽も画も食文化も人々も、日本のすべてが好きでした」

    ヤドランカの名前が一躍世界に知られたのは1984年。ユーゴスラビア(当時)の国民的歌手としてサラエボ冬季五輪のメーンテーマ曲 を作り、セレモニーで歌ったことで高い評価を得た。日本との縁は88年にレコーディングと音楽祭のために来日したのがきっかけ。その後、 滞在中にボスニア内戦が勃発し、帰国を見送らざるを得なくなった。

    不屈の努力で言葉を習得して日本を拠点に音楽活動を開始し、都合23年を過ごした。2009年にステージ上で大きなケガを負って 車椅子での生活を余儀なくされる。

    11年に東日本大震災が起こると、自分のマンションを被災者に提供してクロアチアでの仕事に向かい、リハビリのためにボスニアに 帰った。体調が回復すればまた日本に戻る予定だった。しかし、思った以上に治療は長引き、やがて医師からALSを宣告された。

    やはり麻痺は進んでいるという。かつてオフマイクでも大きなホール中に響き渡ったヤドランカの声は今、か細く途切れる。

    「この病気を治す新しい薬ができたと友人から聞いたのですが、まだ認可が下りないそうです。私は、治験者になってでも使って みたかったのですが、それも叶いませんでした」

    一時、SNSを席巻した氷水パフォーマンスのその後はどうなったのか。少なくともここでは患者の療養支援に直結した動きは見えてこない。

    当初、筆者は私的な見舞いとしての再会だったので写真を撮るのははばかられたが、ぜひ撮ってほしいという。

    「私のことを伝えてほしい」

    ※AERA 2014年11月24日号より抜粋

    ソース(dot.) http://dot.asahi.com/aera/2014112600091.html
    写真=中国に伝統的な鍼と薬のコンビネーションでALSを治すクリニックがある、とも教えられた。「でもやはりそこまで行くのは大変です」
    (撮影/ジャーナリスト・木村元彦)
    http://dot.asahi.com/S2000/upload/2014112600091_1.jpg.pagespeed.ce.fTx9CkGIa2.jpgno title


    Jadranka Stojakovi? & Soundscape (2009) Bosnia & Herzegovina/Japan
    https://www.youtube.com/watch?v=QpjKbz_mfJI


    引用元: ・【洋楽】「音楽も画も食文化も人々も、日本のすべてが好きでした」…ALSで闘病中の歌姫、ヤドランカ・ストヤコビッチが伝えたいこと

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